「ちょーす」の巻
赤ん坊に向かって「いない、いない、バー」とおどけた表情をしてあやすことを、秩父ではチョースといった。チョースと言うと、愛するとか、かわいがるという意味をもった、寵という字が浮かんでくる。寵愛するという熟語もある。850年ほど前の『大鏡』と言う本に、一人の賢い子供のことを、ある高貴な方が「ちょうし給う人」と説明している文がある。赤ん坊や幼い子をかわいがったり、機嫌をとったりするのだから「寵す」でいいのかと思うところだが、もうひとつ「嘲す」という字も考えられる。
これは嘲弄という熟語があるように、バカにする、からかう、戯れるなどの意味を持つ。文献的には鎌倉時代の『宇治拾遺物語』の狐を嘲した話だ古いようだが、江戸時代の本には町民の会話に、からかう、バカにするなどの意味でしきりに出てくる。とくに『通言総籬』の「ちょうするようにうれしがらせる」という説明文をみると、どうやら赤ん坊をチョースのは嘲すと書くのが相当ではないかと思えてくる。