「つんだしがいい」の巻
本誌前号の砂糖の話を受けて。日中戦争による物資不足で、砂糖は昭和15年に統制品となり、配給以外は手に入らなくなった。戦争が激化すると輸入もできなくなり、砂糖の原料は軍用機の燃料に転用されて、昭和19年から乳児用以外は配給も停止されて、家庭から消える。菓子も軍用以外は作れなくなった。
敗戦後、上野のヤミ市では米軍放出の砂糖に群がる人々が話題になった。一般家庭では甘味料といえばサッカリン、ズルチン、チクロという代替品だったが、後者二品は有害物質とわかり次々と使用禁止となる。
砂糖が完全に統制解除となったのは昭和27年のことで、以後、徐々に市中に出回り始め、菓子屋も復活した。長い間市中から消えていた砂糖に対する貴重品意識は高く、贈答品の花形となって、昭和30年代後半からは、供養の引物の定番となった。5kg入りの砂糖の箱はズシリと重く、いい物をもらったという満足感があった。
贈答品の見栄えのいいものを、秩父ではツンダシガイイと言った。当時、砂糖はまさに「突ん出しがいい」品物の代表格だったのだ。
砂糖が普及し稀少性が薄れるにつれて、供養の品は大きな箱入りの毛布やコタツ掛けなどが主流となり、続いて10㎏の箱入りの米なども突ん出しのいいものとして流行した。
物余り時代といわれる現今では、見栄えよりも質的な面が好まれて、供養の品も多様化しているようである。贈答品やそれをめぐる言葉にもしっかりと時代の姿が反映していることがわかる。