「西ヤツ」の巻
荒川の西、いわゆる西秩父を総称して西谷(にしやつ)という。今から1301年前の『常陸(ひたちの)国(くに)風土記(ふどき)』に、郡役所の西の谷(やつ)の芦原を開拓して新田を作ろうとすると「夜(や)刀(と)の神」が現れて邪魔をしたという記事がある。ヤトの神とは芦原の蛇のことである。ヤツ・ヤトは関東以北で谷や扇状地等の湿地帯をよぶ方言である。
長野・静岡辺りを境に、関西ではタニ、沖縄ではタンである。歌舞伎の「お富与三郎」で有名な「源氏店(げんやだな)」の場で、切られの与三が「鎌の谷七(やつしち)郷(ごう)を食いつめても」と啖呵(たんか)を切っているが、昔は谷七郷=七つの谷間の村は、鎌倉の代名詞だった。
明治九年に県で調べた県内の小字約一万七千の内、谷地名は九八七ある。タニと読むのが一二、熊谷のヤが六四四、ヤツ・ヤト合わせて三一三か所。秩父・児玉地方にヤツ・ヤトが圧倒的に多い。
ヤツが古い言葉である証拠と言えよう。西秩父全体が多くの谷に刻まれているので、まとめてここを西谷(にしやつ)と言ったものである。