「でがらくり」の巻
歯車や糸を組み合わせて巧みに人形を動かすカラクリ人形の歴史は古い。初見は『日本書紀』の「斉明天皇四年(六五八)・沙門(しゃもん)の智踰(ちゆ)が指南車を造る」というものである。指南車とは、乗っている仙人の人形が、常に一定の方向を指し示す車の事である。また同書は、その二年後に、中大兄皇子(なかのおおえのみこ)(後の天智天皇)が漏剋(ろうこく)を作って、民に時を知らせたと記している。漏剋とは漏刻とも書いて水時計の事である。水を入れた幾つかの容器から滴り落ちる水を下の容器に受けて、そこに付けたメモリによって時を計るカラクリである。つまり、カラクリとは機械の原初的な物である。後には精巧なカラクリ人形も出てはきたが。
話は変わって、共同作業に出かける時になってから、鎌を研いだり、あれこれと身支度を整えるのに手間どる人は、デガラクリと言って嫌がられた。出がけに衣装選びや化粧に手間取る女性も同様である。出絡(でから)繰(く)り、出かけにカラクルとは秩父農民の造語らしい。