第30回 合角ダム
むさしの探検隊のちょっくら行ってんべ~!
「倉尾の合角ダム」 へ行って参りました!
こんにちは、若林です。私の母は、倉尾合角の出身です。下駄屋で生まれ豚飼いの家で育ちました。17年前に母の実家はダムで沈んでしまいましたが、合角は、自然が豊かでとても静かな場所でした。年に何度か母の実家へ帰省するのですが、「合角ダム絶対反対」と、書かれた大きな看板が見えてくると「もう少しでおばあちゃんちに着く」と、幼い頃の私達の目印になっていたものです。当時の楽しみは、川遊びと、週に2回くる移動スーパーでお菓子を買って貰えるのと、100頭以上いる豚の餌やりを祖母の後ろに付いて見て回る事でした。
合角ダム実施計画調査から補償基準妥結まで16年、さらにそれからダム完成まで17年と、長い年月をかけて、合角ダム建設の話が具体化し、合角、女形、日尾、塚越で75世帯の村人が余儀なく移転されました。母は、決まった事だから仕方がないけれど、ダムが完成し、17年たった今でも、合角の歌を聞くと涙が出ると話していました。故郷を想う気持ち、失う寂しさは計り知れないですね。私の両親は、時々倉尾ふるさと館を訪れ、元気村で温泉につかり、楽しい時間を過ごしているようです。
ダムに沈んだ合角の石に彫ったそうです
新井君とパチリ
合角ダム
おばあちゃんちこの辺りかな